2009年11月16日 14:58
自ら出した宿題をこなしてきました。9月末永青文庫で伏波神祠詩巻を見たことをきっかけに,黄庭堅の書を追い求め,平安神宮近くの藤井有隣館に行ってきました。ご覧のような中国風の屋根のある特徴のある建物です。ところが,有隣館は第1,3日曜日しかオープンしておらず,しかも目当ての草書「李太白憶旧遊詩巻」は11月しか見るチャンスはないとのこと
さて,その書はご覧のように,一見書きなぐったようにしか見えないのですが,書家の石川九楊はベートーベンの交響曲を凌駕する深い味わいがあると絶賛しています。私にはそこまでは分からないのですが,3列目の「初めて入れば,千花明らかなり」の「入」という字には惚れ惚れしています。「初」からの連綿,以下「千花明」の文字群とのコントラスト,2列目の「一」とのバランスなど最高です。幸い他にあまり人がいなかったので,たっぷり30分はこの真筆を眺めていました。昔は中国の皇帝しか見ることができなかったのですが,現在では1年に1度とはいえ,誰でも見ることができ,すばらしいことです。2列目の右に乾隆帝の印がありますね。
この日の京都は天候に恵まれ,国立博物館の「日蓮と法華の明宝」展,南禅寺の水路閣,二条城どこへいっても人がいっぱいでした。紅葉も人をひきつけるのでしょう。写真は南禅寺近くにて
2009年11月 9日 15:35
B'zのニューシングルビデオクリップでおなじみの軍艦島に上陸してきました。1年ほど前から,産業遺産や廃墟に興味があり,写真集ではよく眺める軍艦島。今年4月から上陸解禁となり,いずれは行きたいと思っていましたが,思い切って週末行ってきました。
端島はその姿が軍艦に見えることから軍艦島と呼ばれています。長崎半島の西4.5km,長崎港から南西19kmの沖合いにある小さな島ですが,明治期から三菱財閥により炭鉱開発が進み,最盛期には5,300人も生活していました。ところが,1974年に閉山・無人島となり,炭鉱施設や住居群は荒れるままにまかされています。
さて,前の日予習をかねて,近くの高島(この島は人が住んでいます)の高島石炭資料館を訪れました。展示品や年表がよく整理されています。長崎港まで帰るフェリーに時間があったので,岸壁から夕日の沈んだ軍艦島を臨みました(写真の舟の上の中央にある島。高島からおよそ1.5km先)
翌日,軍艦島上陸ツアーは長崎湾から小型船で出港。高島を過ぎると,結構揺れます。軍艦島の桟橋に横付けするときも大揺れ。やっとの思い出上陸できました。軍艦島には大型船は横付けできず,海が時化れば上陸不可能。後で聞けば,この日もぎりぎりの天候だっそうです。ラッキーでした。また,ツアーの参加者も18名と少なく,ガイドさんにたっぷり説明していただきました。この点もラッキー
上陸して,最初に目にするのは,ひび割れた岸壁。その間から見えるのは,等間隔でならんでいるコンクリート柱は石炭を運ぶコンベアの台座。その奥に見えるのは,小中学校の校舎です。
建物崩壊のリスクがありますので,見学できるところは,ごく一部分で,しかも柵で囲っています。しかし,軍艦島の存在感はきわめて重厚で,写真集で見る写真はその雰囲気をごく一部しか伝えていないという感をもちました。ごらんのように荒れ果てているのですが,80年以上の人の体臭が染み付いているようで,まるだ何かを語りかけているかのようです。私の真後ろにあるのが,日本一古い鉄筋コンクリート住宅30号棟です。
最後の写真は,帰りの船から撮った軍艦島。軍艦に見えますか?
2009年11月 2日 08:22
明治のベンチャーキャピタリスト渋沢栄一の設立した日本レンガ製造ホフマン第6号窯産業遺産が,深谷市主催で,10/31と11/1限定公開されるというので,さっそくいってきました
朝10:15ころに現地に着きましたが,ご覧のように産業遺産ファンで込み合っています。
30分ほど待って,中に入りますと,さながらワインセラーかウイスキーの貯蔵庫のように静まりかえっています。深谷市の方の説明によると,明治以来昭和40年初頭まで,月産約60万個のレンガを焼いていたそうです。そのレンガは日本の産業発展に貢献し,東京駅や慶応大学図書館,そして,今では廃線になった横川ー軽井沢のめがね橋に使われたとのことです。
めがね橋はたまたま先月見てきたので,とくに感動しました。
最後に,深谷市は熊谷から2駅北にありますが,ベンチャーキャピタリスト渋沢栄一の故郷だそうで,駅前には銅像が建っています。渋沢栄一を知るには,城山三郎の小説「雄気堂々」をお勧めします


